物の発明はいつ完成とみなすか?

特許出願に際してエンジニアが一番悩むことは「Aは作成してきちんと動くことを確認済みで、Bは作ってまだ動作確認できてないがまあほぼほぼ確実で、Cは設計図はあるけどまだ作ってなくて、Dはおおよその設計指針だけあってまだ詳細な設計書を作ってないけど、どこまでが『発明』なんだろう」なんじゃないかと思う。

物(プログラムを含む)の発明はどのタイミングで完成とみなすかについて、最高裁で判決が出ています。最高裁判所第二小法廷判決 1986年10月3日 、昭和61年(オ)第454号、『ウォーキングビーム式加熱炉事件』。もしリンクが切れてたら裁判所 | 裁判例情報で昭和61(オ)454を検索。

物の発明については、その物が現実に製造されあるいはその物を製造するための最終的な製作図面が作成されていることまでは必ずしも必要でなく、その物の具体的構成が設計図等によつて示され、当該技術分野における通常の知識を有する者がこれに基づいて最終的な製作図面を作成しその物を製造することが可能な状態になつていれば、発明としては完成しているというべきである。

 というわけで「だいたいこんな感じで作ればできる」まで言えば発明としては完成なわけです。つまりDも完成済みの発明。プログラムで言うと、仕様書がまだ細部まで詰められていないぐらいでもOK。

エンジニアの発想からするとそんなの全然完成じゃないじゃんと思うんだけどね。

そういえば、エンジニア的には「物ができあがってちゃんと動いた」を完成のラインにしがちだけど、これって暗黙的に「ちゃんと動くものが完成した」ってことだよね。ここで議論しているのは「発明の完成はどのタイミングか」なので、「発明=ちゃんと動くもの」という暗黙の前提を置いていることになるか。この前提は明らかに間違いだ。

発明とはなんであるかは特許法の中で定義されている。特許法2-1「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」つまり「技術的思想の創作」なのであって「動くもの」とかではない。たぶんこれがエンジニアと弁理士の会話が食い違う大きな理由の一つなんじゃないかな。

これは共同発明者に関する「特許法概説」の議論(p.187~188)にも表れている。簡単に要約すると

  • 実質的に協力し発明を完成させたことが共同発明の要件。
  • 発明は技術的思想の創作であるから、思想の創作自体に関係したか否かが、実質的に協力したかどうかの判断基準。
  • 部下の研究者に対して一般的管理をした管理者は共同発明者ではない。
  • 研究者の指示に従い、単にデータをまとめ又は実験を行ったものは共同発明者ではない。
  • 発明者に資金や設備利用の便宜などを与え、発明の完成を援助したものは、共同発明者ではない。
  • 発明の成立過程を着想の提供と着想の具体化に分けて考えた場合:
  • 着想が新しい場合、着想の提供者は発明者である。
  • 新着想を具体化した者は、その具体化が当業者にとって自明程度のことに属さない限り、共同発明者である。

つまり1行で要約すると、あたらしいアイデアを思いついた人が発明者、それを実現した人は実現が自明でない場合のみ発明者、それ以外は発明者ではない、となる。実現が自明であるかどうかはまた議論の分かれるところではあるけど、アイデアを思いついただけで実現に携わらなかった人でも明確に共同発明者であるという考え方がわかる。

こういうことを調べていて思うんだけども、新しいことを思いつけるエンジニアはもっと思い付き段階でどんどん知財確保に向けて動いた方がよいんじゃないかな~と思う。知財は一個人が大企業に対して対抗できる重要な武器なのだから。